リュシアン・ゴーティエはもうギルドの依頼を受けていない。正確には、一人で受けることはなくなった。彼のパートナーであるヒナ・ネルハーが依頼を受けたとき、剣と盾を持ち出して共に行動するだけだ。 そもそもリュシアンが冒険者ギルドに登録したのは兄であるルーナに近づくためだった。彼が冒険者であったから、自分も冒険者になった。それだけなので、旅にわくわくする気持ちも、未知を探求する好奇心もない。そんなルーナともすっかり打ち解けられたとリュシアンは確信しているし、――人に紹介されるとき決して弟とは呼ばれないが、紹介されるだけ大きな進歩なのだ――生活に不便がない程度に稼げればそれでよかった。
「……はぁ」
リュシアンは自室のソファーに腰掛けながら、大きくため息を吐いた。それを聞くものは誰もいない。ルーナの厚意でフリーカンパニーの個室を与えられてしばらく経つ。すっかり第二の家とも呼べるくらいには快適な我が家なのだが、ひとつ欠点がある。
「……潮時」
それは実家の執事に住所を知られていることだ。どこから漏れたかは知らないが、彼からの手紙がきっちり月に一回届けられる。嫌になるほど几帳面な無表情の老人の姿を脳裏に浮かべ、もう一度ため息を吐いた。 両親なき今、家長はリュシアンだ。第七霊災の後父親が死に、母親は愛人とどこかへ消えた。生きるためには仕事を継がなければならない。雇い主として使用人達の生活も守らなければならない。けれどそれはひどく重荷だった。そもそも、リュシアンは家業が大嫌いだった。
ゴーティエ家はリュシアンの祖父の代までは、主にドラゴンを倒すことで功績を積み、戦いの中で財を成してきた。それが大きく変わったのはリュシアンの父からだ。戦いなど野蛮で前時代的だと公言して憚らない彼は貴族社会でも鼻つまみ者だったが、商いは上手かった。彼は所謂人材派遣業を始めた。上層も下層も関係なく、仕事を必要とする人間を集め、人手を必要とする場所に送り出す。直接賃金のやり取りはさせず、自分を介することで手数料を取り儲けを出す。特に仕事にありつけない下層の貧民達には、貴族がわざわざ拾い上げて仕事を与えてくれるのだから受けは良かったのだろう。――実態はほとんど売春斡旋だ。 貧民を買って、身なりを整えて、貴族に売る。行くところのない女も男も、リュシアンの父の食い物にされた。その恩恵に預かる貴族達は表立っては彼に文句を言いながらも、取引を止める者はいなかった。リュシアンの父だっておおっぴらに春を売れとは言わず、ただの労働者として仕事を与える体裁を保っていた。仕事のない間は父は気に入った女達に、母は男達に囲まれて淫らな日々を過ごしていた。そんな環境の中で育ったリュシアンは今も父にも母にも強い嫌悪感を抱いている。
「……」
嫌なことを思い出したリュシアンは頭を振って、手元の手紙に視線を落とした。執事は祖父の代から仕えてくれている人物で、必要以上の会話はしたことがない。両親がいなくなったあと仕事を継いだリュシアンが一切の売春行為を禁止し、繋がりのあった貴族との取引を止めても文句の一つも言わなかった。行き先のなくなってしまう貧民達に国内外問わずまともな仕事先を探し出し、紹介して回ったのも彼だ。手紙にはリュシアンの代わりに、今も彼がするべき家業を続けている執事からの収支報告が綴られている。温度の感じられないその文字列には、一言も「帰ってきてほしい」などと書かれたことはない。ただ淡々と事実だけが並べられている。 すべてが嫌になって、見知らぬ兄に縋って家を飛び出したリュシアンにとって、実家のことはいつまでも喉に残る小骨だ。例えこのまま帰らなくたって、執事がいればなんとでもなるだろう。一方で、そう思う頭の片隅にすっかり老いた執事の背中が浮かぶ。リュシアンが今こうして自由にしていられるのは、間違いなく彼のおかげなのだ。
「リュシアン様~っ! ただいま~っ」
ノックもせず部屋のドアを開け放ったヒナに、リュシアンは慌てて手紙を伏せた。
「ヒナ、ドアはノックしてくださいと何度言ったら分かるんですか」 「えへへ、ごめんなさぁい」